一皿の料理を通じてつながる-Connection through One dish-
「食べる」ということについて考えてみたい。
当たり前だけど、私たちは「食べる」という行為をやめたら生きていけない。
日々生きていくため、エネルギーを補給するという意味での「食べる」ことは重要だ。
目まぐるしい日々のなかで、どれだけ効率的にエネルギーを補給できるか。
今の私たちの生活のなかでは、そのことが最重要課題のようだ。
パソコンの画面と格闘しながら、味のしないオニギリをほおばる。
急ぎ足で歩きながら、栄養分だけを切り取った化学物質を流し込む。
「いただきます」って、手を合わせるヒマもなく、「食べる」は、私たちの生活になんの意味ももたらさず、通りすぎていく。
でも、人間にとって「食べる」ことの意味は、
それだけだろうか?
例えば、
仕事や恋に打ちひしがれて落ち込んでいるとき。
たまたま、ランチで立ち寄った洋食屋さんの
オムライスが、すごく美味しくて。
ただそれだけのことに、人は救われたりする。
べつに、高価な食材で一流のシェフが作りました、みたいな特別な料理じゃなくていい。
ただただ、作り手が、食べる人を想って、
丁寧に作られた料理。
そんな料理に出会うと、お腹だけじゃなく
心も満たされた気がする。
料理を口に運んだ時、
食材の味とか香りとかだけじゃなく、
べつの「なにか」、
を噛みしめているような気持ちになる。
なんだか心に、ふわっと香る「なにか」を。
その「なにか」の正体は、たぶん、
「作り手の想い」だ。
そしてまた、食べる人も、
その料理を通して作り手に想いを馳せる。
一皿の料理を通して、
作る人と食べる人の想いがピタっと一致して
つながったとき、
お互いの心が満たされる。
そんなシーンをもっと増やしたい。
そんなシーンが、街のあちらこちらで起こり続け、
そんな街が、世界中のあちらこちらで出現し続けたら
「美味しいごはんを食べる」って
単純で当たり前のことが、
世界を救うことだってあるかもしれないじゃないか。
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